台湾①

コロナ渦に留学へ行っていた。親や友達、同僚からはなぜ今なのか?大変だろうと心配の声を多くかけられたが、諸事情により行かない選択も憚れたため最終的にはこの時期に行くことを決めた。帰国することになったため一通り大雑把に留学についてまとめようと思う。ほぼ備忘録であることを了承していただきたい。

 

もともと、お金がないためバイトをしながら毎日台湾に対する情報を集め、手続きをしていたわけだがこの時期に留学することは結論からいうとトンチキだった。世界情勢が新たなういるすによって不安定になった時期に留学することが貧乏人にとってどれだけ無謀であるか身をもって思い知った。

 

台湾はコロナウイルスに対する迅速な対応と厳格な政策は世界でも際立っておりテレビやニュースなんかでは「優等生」と表現されていた。

実際、台湾の空港について行動は制限され空港の外でタクシーに乗る前には全身とスーツケースにアルコールを大量に浴びせられた。その後14日間の隔離があったわけだが、14日間も隔離されるなんてもうたまったもんじゃない。とにかく暇だった。毎日決まった時間にお弁当が廊下に置かれそれを食べる。まだインターネットがあったためYouTubeNetflixをみて時間はつぶせたが、、、インターネットに感謝だ。

また隔離ホテル内には学生が多かったのかホテルの内線を使って電話をかけてくる修学旅行生みたいなことをする人もいたり午後二時になると決まってピアノを練習し始める人など快適に暮らしている人もいた。

 

ネットサーフィンや友達との電話などを繰り返し隔離終了。その後は自主隔離期間に突入した。この期間は制限付きで日常生活を送ることができる。制限は公共交通機関の乗車禁止と店内飲食禁止だったような気がする。自分は隔離期間中にアパートを契約していたため隔離終了日にタクシーで台北のアパートに直行した。ここで最初の住文化の違いを経験した。

台湾には「頂樓加蓋」と呼ばれる物件がある。これは屋上につくった部屋のことだ。

本来の土地の表面は限られているが空間は無限に上へ上へと存在するため一つの完成された建物の屋上にさらにもうひとつ部屋を作るのだ。契約した内容には5階/5階建てと記されていたため何も考えずに契約してしまったが当日部屋へ行って驚愕だった。

台湾でも人によっては嫌悪感を示す物件だがその魅力は安さだ。頂樓加蓋は夏は暑く冬は寒い、雨が降ったり風が吹けばトタン屋根は騒音のように音を立てる。また泥棒が簡単に入ってこれるので親元で暮らしていたあまっちょろい私にとっては受け入れられなかった。この時が初めてのカルチャーショックだったのだろう。ここに引っ越してから寝れなかった。きっと騒音並みのトタン屋根の影響もあったがとにかく不安だった。

 

引っ越してから三日目にはもう駄目だと思いダメもとで大家さんに別の物件に変えてもらえるかお願いしなんとか頂樓加蓋から脱出した。私は台湾の生活に慣れるためにはこれくらいなんてことないだろうと強気になって頂樓加蓋に住むことを一度許可してしまったがこれは間違いだった。衣食住は人間の営みに重要な要素だ。これを妥協してはいけない。しょっぱな肝に銘じたことだった。